市川團十郎・12代目(歌舞伎俳優)

2013年2月3日肺炎のため死去(享年66歳)

  • 2004年5月 長男の十一代目市川海老蔵襲名披露公演中に、急性前骨髄球性白血病(APL)の発病が判明し、舞台を降板し緊急入院。(公演1ヶ月前の人間ドックでは、特に異常は認めらず。)
  • 2004年10月 約半年の治療後、パリで行われた市川海老蔵襲名披露公演で復帰。
  • 2005年6月 APLが再発。再寛解導入療法でトリセノックスを使用。
  • 2006年1月 自家末梢血幹細胞移植
  • 2006年5月 復帰公演。
  • 2007年秋 骨髄異形成症候群と診断される。輸血による治療を継続する。
  • 2008年7月 ヒト白血球型抗原(HLA)の型が一致した妹から骨髄移植(ミニ移植)を受ける。
  • 2008年10月 舞台復帰会見。
  • 2011年7月1日 特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会会長に就任。
  • 2012年12月 後期生着不全(移植した細胞が勢いを失い悪性の細胞が増殖)により入院。
  • 2013年1月14日 ICUに入る。
  • 2013年2月3日 肺炎のため永眠。

APL発病~APL再発(自家移植)~骨髄異形成症候群(骨髄移植)と、何度も闘い克服してきた團十郎さん。
驚くのは、退院から復帰までの期間の短さです。
初発時は、5月からの治療開始で、半年後の10月にはパリで公演。
再発時は、1月に自家移植で、5月には復帰公演。
2008年7月の骨髄移植時は、ミニ移植とはいえ3ヶ月後の10月に舞台復帰。
ご本人の強い思いが、このような離れ業に繋がったのでしょうか。

インタビューでは、再発時の自家移植の際の抗がん剤が一番辛かったと話されてました。「無間地獄のようだった」そうです。

再発時に使用したトリセノックス(亜ヒ酸)は、当時まだ認可されたばかりで、治療した病院で初めての使用だったそうです。

闘病を続けながらの積極的な活動・・・
改めて、偉大な方だったんだな・・と思いました。

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